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2004-08-08

サンヴァレーに関する長いお話:その1。

JRAのお知らせより:

第4競走の競走中止
9番サンヴァレー号(出津 孝一騎手)は、他の馬に関係なく第7号障害飛越後、馬体に故障を発症したため競走を中止しました。
馬 :右上腕骨々折 ※予後不良
騎手:異状なし

サンヴァレーといえば、母ヴァレリーと、伯父にあたる偉大なる障害馬ポレールのことを抜きには語れないでしょう。
話は96年に遡ります。
その年の春、ポレールは東京障害特別と中山大障害を制し、一気に障害界の頂点に昇りつめました。私がポレールのことを好きになったのもこの頃のことです。
そしてその夏、ポレールと同じ岩元厩舎に彼の妹が入厩して、しかもかなり期待されているようだという噂を聞きました。その妹の父は、サンデーサイレンス。初年度産駒にあたるその年の4歳(旧表記)世代がクラシック戦線を席捲し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった種牡馬の産駒だけに、大きな期待がかかるのも当然のことだったでしょう。
ほどなく、その妹ことヴァレリーが小倉でデビューしました。デビュー戦は3番人気3着、折り返しの新馬戦は2番人気で7着。まだ馬が発達途上なのかな、という感じでレースを見ていた記憶があります。
ところが、そのレースの後、彼女の名前を見かけなくなってしまいました。兄のほうは阪神障害ステークスを勝ち、その後中山大障害2連覇そして3連覇の偉業を成し遂げ、春の天皇賞にも出走したりもしていましたが、そのあいだも彼女の名前が出馬表に出てくることはありませんでした。
ようやく彼女が復帰したのは、デビューからちょうど1年経った小倉開催でのことでした。両前脚の骨折(……と記憶していますが、違ったらごめんなさい)を乗り越えてレースに戻ってきた彼女は人気を背負って走り続けましたが、掲示板に載ったのが1回だけという結果に終わってしまいました。その後、福島開催のいわゆる「最後の未勝利戦」を走り続けましたが、2桁着順が続いてしまいました。結局、デビュー時の期待に応えられないまま、彼女は地方競馬(高崎)へと転厩していきました。
当時、地方競馬の馬の戦績を調べる手だてを知らなかった私は、彼女が現役でいるのか、待望の初勝利を挙げることができたのか、と時々思い出しては心配になったこともありました。
ようやく彼女の消息を知ることができたのは、地方転出から3年後、2000年の秋のことでした。

以下、次回に続きます。

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