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2003-12-26

私の海外競馬ことはじめ、その4。

……また休みが入ってしまいましたが、18日の記事から続きます。

オーストラリアへ行ってみたいけど、そういえば現地の競馬事情をほとんどわかっていない……。
セントスティーヴンを追っかけに行こうと思い立ってしまってしばらく時間が経った後、ふとそんなことに気がつきました。
ちょうど中山GJの前、JRAのサイトに海外招待馬の詳しいプロフィールが載っていたり、『優駿』誌にJRAの海外駐在員の皆様による各国の障害競走事情に関するレポートがあったりと、中山GJが国際招待競走となって間もない頃に比べると格段にこの手の情報の量は増えました。しかし、実際に行くことを考える段になるとそれだけでは足りないのです。たとえば当地の競走体系とか、レースの雰囲気とか、そもそもムーニーヴァレー競馬場ってどこにあるんだ、なんてこととか。
そういった詳しい情報を探すため、以前セントスティーヴンに関する記事を探してたときに覚えた技を駆使して(?)、毎日のようにオーストラリアの競馬サイトを巡ることに熱中してました(その中で見つけた、今でも重要な情報源になっているサイトを画面左の「マイリンク」に挙げておきました)。
本当に時間を忘れてしまうほど、ネットサーフやら資料集めに没頭していました。おかげで、以前はメルボルンという都市がオーストラリアのどこにあるのかさえわからなかった私が、今やこんな文章を書くまでになったくらいです。
さらに、拍車をかけた出来事が二つ。
一つは、前にもちらっと書きましたが、昨年の中山GJのときにセントスティーヴンに跨っていたソーントン騎手が短期免許で来日していたこと。ソーントン騎手を見るたびにやはり彼のことを思い出してしまっていたうえに、ついでにニュージーランドのことも調べてみようかななんて気になりましたから。
そしてもう一つは、土曜競馬中継でおなじみの矢野吉彦アナが書かれた本、『世界競馬案内』。
各国の競馬事情に始まって、競馬新聞の読み方から馬券の買い方、競馬場へのアクセスに至るまで、まさに痒いところに手が届くような濃い内容に驚嘆しました。もう、オーストラリアとニュージーランドのところは穴が開きそうなくらい読み返しましたし、その他のところも興味深く読んでいました。

そして今、延々とこんなことを語っている自分がいると、そういうわけなんです。

……いちおうこれで終わりです。

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2003-12-18

私の海外競馬ことはじめ、その3。

……しばらくお休みしてしまいましたが、13日の記事から続きます。

待ちに待った4月19日、中山グランドジャンプ。
パドックで私の目の前をセントスティーヴンが通ったときはもう、胸が一杯になりました。本当にまた来てくれたんだ、あれから1年間、怪我もなく無事に過ごしてきてここに戻ってきてくれたんだ、と。
そして、連覇への期待を込めてレース本番へ。しかし、結局3着。昨年のようにはいきませんでした。とはいえ、大竹柵飛越後に早くも先頭に立っていたにもかかわらず、最後まであきらめずに粘り抜いて3着に踏みとどまったことに、昨年とはまた違った感動を覚えました。
その後オーストラリアに戻った彼は、当地の主要レースに次々と挑むものの2着が最高でなかなか勝てず、という状態に陥ってしまいました。しかし、レース中に頭絡が外れるアクシデントがあったり(ここの一番上の記事参照。それにしても「セントスチーブンス」って)したことも事実で、彼の実力はこんなものではない、といったところだったのでしょう。
このあと、7月26日に行われる大一番、A.V.Hiskens Steeplechase(彼が一昨年、昨年と連覇したレース)に向かうという情報がいつもお世話になっている某障害系サイトの掲示板(前の記事にも書きましたっけ)に出ていました。これは絶対チェックしておかないと、とレース当日まで待ち遠しくてなりませんでした。
そしてそのレース当日。さあセントスティーヴンの夢の3連覇となったのか、それとも……? とばかりに、とりあえずはネット上でオーストラリアのレース結果が載っていそうなサイトをいろいろと調べてみました。ところが……、

出走馬の中に、セントスティーヴンの名前がなかったのです。

どうしたのか、私の見間違いなのか……。さらにいろいろなサイトを巡ってみましたが、やはり、出馬表にさえ彼の名前はありませんでした。
いったい何があったのだろう。今度は新聞社のサイトをいろいろ当たって、彼に関するニュースがないか探してみました。
すると、こんな記事がありました。
彼はA.V.Hiskensの前哨戦となるNoel Mason Steeplechaseというレースで1番人気に支持されたものの、最後から2番目の障害あたりから急激にバテて、結局なんと勝ち馬から21馬身離された5着に敗れてしまったとのこと。精密検査が行われた結果、心電図で異常があることが判明し、無念にもA.V.Hiskensは回避することになった、と。
これを目にした瞬間、私は思いっきりへこんでしまいました。この状況では、もう彼が日本に来ることはかなわないかもしれない。来年になれば復帰できると記事にはあったけれど、年齢的に現役でいる時間はあまりないだろう。そうなれば彼がもう一度日本へ遠征してくる可能性はますます低くなってくる。でももう一度彼の勇姿が見たい。それならば……。
自分がオーストラリアへ行くのはどうだろう。そんな突拍子もないことを思いついてしまった深夜3時の状況を、はっきりと覚えています。

……あと1回くらいで終わるかなと。

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2003-12-13

私の海外競馬ことはじめ、その2。

……12日の記事から続きます。

来年もセントスティーヴンは日本に来てくれる。私がそう信じて待ち続けている間、彼はオーストラリアで順調に勝ち鞍を重ねていました。
そのなかには、なんと彼自身の名前がついたレースまで含まれていたのです。
(なんでも、世界最高賞金額の障害レースを勝った彼の栄誉を称えて、その年だけ特別にSt. Steven Steeplechaseというレースを作っちゃったんだそうで)
そして、当地のレースシーズンの締めくくりとなる7月末、主要レースの一つであるA.V.Hiskens Steeplechaseを圧勝、史上2頭目となる2連覇の偉業を達成したのでした。
(ちなみに、最初にこのレースを2連覇したCrispという馬は、後に英国へ遠征しグランドナショナルに参戦しました。そこでなんと名馬Red Rumの2着に好走したんだそうです)
このあたりのことを、私はある障害ファンの方のサイトの掲示板で知りました。当時の私は、海外のことを知ろうにも、まず何から手を付けたらいいやらわからない状態で、いわばそのサイトが頼みの綱のような状態でした。
ちなみに。今その掲示板の過去ログを読み返してみると、A.V.Hiskensの結果を書いてあるところに「オーストラリア行きてー!」なんてレスを書いている私がいました。しかしその頃は、ただ漠然と現地で見てみたいなあ、としか考えていなかったと思います。

そうしているうちに2003年になり、1月に中山グランドジャンプへのオセアニア勢の予備登録馬が発表されました。期待通り、その中にはセントスティーヴンの名前があり、そして案の定、彼はオーストラリア代表として2年連続で選出されました。
こうして、再び彼に会えることになったのです。

……まだまだ続きますよ。

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2003-12-12

私の海外競馬ことはじめ、その1。

そういえばまだ詳しく語ってなかったことをひとつ。

7日の記事にもあるとおり、ごく最近ごく一部ではすっかり「オーストラリア好き」で通っていたりする私ですが、
ではなぜここまでオーストラリアにハマってしまったのか、ということをまとめていなかったと思います。
たしか9月の日記の最初の方で「さる事情で……」というふうな書き方はしていますが、どんな事情なんだということまでは書いていなかった、と。
まあ、そもそもの原因は、その日記を読んでいただくとお分かりになるかと思いますが、セントスティーヴンに惚れてしまったことであります。
ということで、そのあたりの詳しい経緯について、今日以降しばらく書いてみます。

昨年の中山グランドジャンプのパドックでデジカメのファインダー越しに彼の顔を見て、なんか外国の馬という感じがしない、と思ったのがまず、第一印象でした。ただこの瞬間は、別にそれ以上の意識はなかったのですが、ひととおり出走馬の姿を撮り終えてから騎手が出てくるまでの時間、肉眼で馬体を眺めていたとき、もう一度彼の姿に目が留まりました。なんかちっちゃいけど存在感がある馬だなあ、とこの時点で、ちっちゃなうま好きの私の心が動き始めました。
そして皆様ご存知の通り、彼が中山グランドジャンプ史上初の外国馬の優勝という快挙を成し遂げました。4コーナーで先頭に立ってから、3連覇を狙うゴーカイに迫られながらも驚異的な粘り腰(&鞍上ソーントン騎手のごっつい追い方!)を駆使して勝利をもぎ取ったそのとき、彼に惚れてしまいました。
2年連続で招待されていたランドのように、来年も日本に来て欲しい、それまで待ちきれないなあ、と思いつつ中山競馬場を後にした記憶があります。

……続きは明日以降に。

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2003-12-07

たしかに事実ではありますが。

今日、とある初対面の方にお会いしました。
ちなみにその方とは、以前某所のチャットでお話したことはあります。
で、その方の第一声が、
「あ、オーストラリア大好きなミントさんですね」
……まあ、あのときのチャットではオーストラリア話で異様に盛り上がってしまいましたからね。
しかし、こんなイメージを持たれるのも初めてなもので、何といいますか、という感じですね。

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2003-12-04

ところで…、

このblogのURLには、さりげなく馬名が含まれています。

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2003-12-03

携帯からテスト。

携帯から投稿、なんてこともできちゃったりして。

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2003-12-02

テストがてら。

突然ですが、日記をblog形式にしてみました。
以前からこの形式にしてみようとは思っていたのですが(その方が自分の日記の形式にあってるかなと)、正直言ってどうしていいものかわからなかったのです。
そんなところに、@niftyがblogサービスを開始したとのメールが。渡りに舟。
というわけで、早速作っちゃったのでありました。
これなら、妙に重いHTML作成ソフトの起動を待つことなく日記を更新できる、ということで
更新頻度も上がるかな、と。

……ってその前に、11月分は?

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